たまに聞かれることなんですが
写真専門の学校で勉強したんですか?と
私は写真専門の学校にはいってません。
プロフィールにも少し書いてありますが
油絵を学びに東京の美大にいってました
”0から何かを生み出す人”の中で
自分もそうなりたいとおもっていたからです
そのまんまですが
人が0から何か生み出す、表現するのは
心底パワーが必要です
私はそうでした
なんせ難しい
なんせしんどい
なんせ苦しい時が多かった
ただ
それをさらっとできる人がいるのも事実で
私は天才くんとよんでました
0→
この過程のために
自分自身をバージョンアップしないとと思って
本を読みあさったり
映画を観まくったり
音楽常に聞いてたり
考え方は安易ですがw
脳のつかってないところをつかいたいと願う日々
白米に醤油をかけて食べる日々
たまにのご馳走はピザポテトとコンビニ弁当
バイト、アトリエ、バイト、バイト、バイト?
バイトが多いw
年に数回ある批評会のために制作する作品
その批評会の度に心臓がえぐれそうで
所属グループ30人ぐらいだったか
プラス教授3人から5人みんなで
1人1人の作品をみてまわるんです
その時は拷問だったぁ
夏の終わりの批評会でした
私の作品を見て教授が言ったんです
「感情をぶつけたり吐き出すのは表現ではないし
それを作品とは言わない」って
あーバレたと思いました
何を描いていいのかわからずに悶々とする日々
それに負けて感情のまま描いたから
ひどい絵だった
心底恥ずかしかったし情けなかったです
0→
を放棄しようとしたんですよね
答えがないとは言いますが
答え風ならまだいい
風にもなりきれない絵を描いた自分は
お天道さまの下に出ることすら許されない
ダメなやつだと
上京して2年間の日々は
アップダウンの繰り返しではなくダウンの中で
どう生きるかを問われるものでした
技術も知識の面でも
当然まわりの面々より劣っているのは100も承知
対等に話すことすらできないと
思ってしまうメンタル
0→
は表現しよう、作品を完成させよう
本読まなくちゃ、人とたくさん話さなきゃ
と思うこともいいけれど
まずは自分を知った上で足りないところは補い
すでにあるところは肯定することが
私には必要だったと
私が学んだことはこれだ!って明確に言うより
日々の出来事や人との対話、言葉に対して思う
その記憶そのものが学びであって
今に通ずることなのだと確信しているのです

Comentarios